思うところあって「ポピュラー音楽研究を専攻できる大学院・大学リスト(暫定版)」というのを作りました
http://homepage3.nifty.com/MASUDA/PMSfaculty.html
進学指導などにお使いくださいますと幸い。あと不備のご指摘をよろしくお願いいたします。


家電批評monoqlo VOL.3 (100%ムックシリーズ)

家電批評monoqlo VOL.3 (100%ムックシリーズ)

CDの話を書く、といっといて雑誌の話になるわけですが(笑)今年一番愛読したのはこの『家電批評』という雑誌というかムック、であった。Vol.1が今年の(たぶん)7月20日に発売になって、2ヶ月に一回の刊行で現在3号まで出てる。文字通り家電、それも買い替えサイクルの早い情報家電の情報紹介というよりも批評に主眼を置いた雑誌である。いつかこういうの出るだろうなあと思っていたんだが、ITmediaとかネットメディアが先行してるからなかなか紙ではねえ、とも思っていただけに、寝転がって読みたい旧人類的にはとても嬉しい雑誌である。
最近、あなた家電量販店のミニコンポコーナー行きました? まあ若い人はiTunesなどで音楽アーカイブ一元管理、という人は多いだろうから、いまさらミニコンポでもないだろうけど、自分のこれまで購入した音楽アーカイブを電子化するタイミングを逸した私としてはまだ必需品なのである(いまさらあのCDの山をリッピングするなんて考えたくもない)。で、春先くらいからいろいろ物色してたんだけど、現在のミニコンポってモノによって機能がほんまばらばらなんですよね。iPodつなげてハードディスクのファイルをパソコンなしで同期できるやつから、MDの編集機能に特化した旧世代までいろいろ。MP3プレイヤー接続端子も松下やらソニーみたいに自社ハードの連携しか考えてないとこもあれば、USBもあれば、男らしくミニジャック入力一発(笑)をそう称する豪傑もある。つまりは、「CDポンと入れて聴けてMDかカセットにそれ録音編集できてラジオ聴けてタイマーが使える」みたいな、CDライブラリのかたちで音楽をアーカイブすることを前提とした、かつてのミニコンポの規範的概念が著しく多様化しているわけだ。それは単なる「家でもiPodを聴ける装置」だったり、「MD編集装置」だったり、「パソコンなしで音楽を電子ファイル化する装置」だったりする。それらの間にあまり共約性はない。ひとつあるのは、「音楽を使ってユーザー個々の目的に即して遊ぶためのハードウェア」という共通項くらいだ。※1
音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ』とか『聴衆をつくる―音楽批評の解体文法』の最後の章とかで書いてることと同じことをまた繰り返すわけだが、いまや「多様なコンテンツ」を消費することを可能にする「標準的なハードウェア」の姿は、著しくそのかたちが不明瞭になりつつある。90年代のJポップバブルってのは結局、ミニコンポという「どれでも同じことができる」標準的ハードウェアの普及が土台となって、その上でさまざまな音楽コンテンツを消費させる、というフォーマットの上で初めてなりたったものだった。世紀転換期のパソコンの機能向上と普及、ナップスターなんかによる音楽コンテンツのネットワーク化、んでiPodの爆発的普及、それを通過した現在、多様性を問題にするべきフィ−ルドはコンテンツの方ではなく、ハードウェアの方に決まってるやん、と思うのだ(それがジャック・アタリの言う「楽器」の問題系なのだ)。
言い換えると、LPでもカセットでもCDでもいい、そういうメディア・フォーマットの枠組みの中で、「ここからここまでは好きにしてよし」と規定された範囲内(つまり90年代まではプレイヤーにポンと置いたら流れてくる音楽の領域)における様々なる意匠のありようこそが、「コンテンツ」と定義されてきたわけであって、そのハードウェアとコンテンツの境界がゆらぎつつある今、「コンテンツ」の指す範囲は従来の意味あいで言うところの「ハードウェア」の領域へと拡大しつつあるのだ。だから人はCD代を節約してまでも新しいiPodを買うことになるし、ダウンロードした着うたを新型携帯電話へと移し替えなくても気にしないのだ。「コンテンツ」などどうでもよい。重要なのは新しいiPod、新しい携帯電話のクールネスではあるまいか。決してそこで鳴らされる音のクールネスではない。iPod touchで鳴るのが大塚愛でも構わないわけである(ファンの方にはすまない。私は結構好きなので例に挙げた)。
…というわけで、音楽に限らないけど、コンテンツよりもそれを駆動させるハードウェアの方が面白くなってますよ、という現状認識こそが、私が『リミックス』や『ミュージックマガジン』を読まなくなった(資料用に買って本棚に放り込むだけになっている)理由であり、『家電批評』を熱心に(そう、80年代の『宝島』や90年代初頭の『ロッキンオン・ジャパン』と同じくらい熱心に)読んでしまう理由なのである。そしてCDの中身について語って「現在の音楽」について語っていると勘違いしてしまう鈍感にうんざりしてしまう理由でもあるのだ。それってもうきょうび、(今日の朝日の朝刊の記事ではないが)紅白歌合戦で白組と赤組のどっちが勝つか気にしてるようなもんじゃない?



関係ないけど明日(というか今日)はこういうのがあります↓
http://www.kyoto-seika.ac.jp/hyogen/news/071216pcken3.html
京都精華大のポピュラーカルチャー研究会(一般公開無料)。お手すきの方はぜひおこしくださいまし。次回3月の研究会はオレがディレクターやらなあかんらしい…




※1 結局買ったのはこれ。カセットデッキと5枚CDチェンジャーついてる「古式ゆかしい」ミニコンポって今やほんま少数派なんですわ。