日本ポピュラー音楽学会第26回全国大会(JASPM26)ワークショップ

12月7日(日)に学習院大学で開催される日本ポピュラー音楽学会全国大会(JASPM26)にて、佐村河内事件をテーマに下記のようなワークショップを開催いたします。非会員の方も参加できます(参加費かかるけど)。ぜひお越し下さいまし。

JASPM26についてのお知らせはこちら → http://jaspm26.wiki.fc2.com

▼佐村河内事件を考える――クラシック音楽のポピュラーな受容と作者性
12月7日(日)10:00~13:00 於・学習院大学百周年記念館3F

司会・問題提起者:増田聡大阪市立大学:コーディネーター)/会員
問題提起者:平田誠一郎(関西学院大学)/会員
問題提起者:小川博司関西大学)/会員
討論者:鈴木淳史(音楽ライター)/非会員

 2014年2月、クラシック音楽の作曲家として著名であった(また、その壮絶なライフストーリーに注目が集まっていた)佐村河内守氏の作品について、作曲家の新垣隆氏がゴーストライターとして作曲したものであった事実が明らかとなった。新垣氏、佐村河内氏はそれぞれ記者会見を行い、その模様はマスコミでスキャンダラスに報じられたことは記憶に新しい。
 本ワークショップでは、この事件から浮かび上がる諸問題を討議する。「受苦し苦悩する偉大なアーティスト」という大時代的な物語が商業的な成功を生み出す構図がここまで端的に示され、また瓦解した例は稀であろう。事後、マスメディアや識者からさまざまに「騙されていたこと」への反省が示されたが、むしろ「受苦し苦悩する偉大なアーティスト」の存在を歓迎し、過剰な物語化を進んで行なうわれわれの文化受容のロマンティックな土壌こそが佐村河内氏を生んだ、とはいえまいか。
 現代社会におけるクラシック音楽は決して「社会と無関係な純粋芸術」ではない。むしろこんにちのクラシック音楽産業は、西洋近代が作り出してきた自律的芸術のイデオロギーを、様々なかたちで流用し、利潤へと繋げている。いわば今回の事件はこの「純粋な芸術を売る」仕組みを浮き彫りにしたものとはいえまいか。クラシック音楽に限らず、ポピュラー音楽にも共通するこのロマンティックな物語へのわれわれの欲望とそれを取り巻く文化産業の共犯関係、この現状を検討することが本ワークショップの主題となる。
 また本件は、「音楽の作者性」についても興味深い問いを投げかける。佐村河内氏は「指示書」を作成し、それに基づいて新垣氏が実際の作曲作業を行なった、とされる。見方によってはタレントのゴーストライター本などで日常的に行なわれている制作過程ともいえようが、これが醜聞として受け取られる背景には(クラシック)音楽固有の作者性、それにまつわる倫理観などが作用している。さらに、事件発覚後に佐村河内作品の録音や関連書籍が出荷停止や絶版となったことは、(おそらく1999年の槇原敬之の薬物事件以降目立つようになった)「音楽の作者のスキャンダルに伴って作品を謹慎させる」動向の系譜に位置づけて考えることもできるかもしれない。本事件をもとに、剽窃、捏造などとも関連する「創作の倫理」の現状についても幅広く議論を行ないたい。
 増田はポピュラー音楽の作者性や作品性に関する美学的な諸問題に関心を持つが、その立場から今回の事件が投げかける論点を整理する。平田はクラシック音楽文化の社会学的研究の観点から、この事件についてのマスコミ報道を一覧することで、佐村河内事件の問題点がいかなる形で社会に水路づけられていったかを確認する。小川は音楽社会学者であると同時に、事件発覚前に「佐村河内ファン」であった立場から、音楽への愛着が倫理的問題によって被った影響について語る。さらに、クラシック音楽ライターとして『クラシック批評こてんぱん』(洋泉社)など多数の著書があり、広闊で柔軟な視点に定評のある鈴木を討論者として招いた。鈴木はクラシック音楽業界の近年の動向を踏まえつつ、この事件の背景にある構図を掘り下げる議論を加えることになる。
 フロア諸氏の積極的な参加と討論を期待したい。