何かにおいたてられるように毎日をどったんばったん生き延びているうちに今年ももう一年を振り返るような時期になってしまいました。歳をとるほどに加速度的に一年の流れが速くなり、しまいには世界の果てで時間が滝壺の中に落ち込んでいくとかなんとか書いてたのは誰だっけ。先週末は名古屋でJASPM名古屋大大会がありいろいろ(運営が)大変だったり(発表とかワークショップとかが)面白かったりだったのだが、いちばんヒントをもらったのが新幹線乗る前の名古屋駅での呑み会での永井純一君の示唆であると言えよう。あのiPodのネタお借りします>永井君。でなんというか、まあそんときも、あるいは懇親会なんかで新しく会った人たちと話しているときにも改めて思ったのは、いくらコンテクスト研究なんつっても、その信頼性(というか説得性)を担保するにはやはり音楽についての(愛ではなく)知見の如何がどうしようもなく要請されてしまうというごくごくあたりまえのことなのであった。ちょっと最近関係ないモノとかコトとか本とかに目を向けすぎてその辺の担保がお留守になってるのがここんとこの何も書きたくないよ病の一因なのかもしれんと反省。というわけでもないんだけど今年後半は子供生まれててんやわんやでしたがちゃんとCDを買おうキャンペーンを個人的にやっておりまして、そのことについてこれから書いておこうと思う。

Big Jay Mcneely 1948-50

Big Jay Mcneely 1948-50

たまたま今日届いたものだけど。ビッグ・ジェイ・マクニーリーは40年代終わりから50年代に活躍したサックス奏者で、いわゆる「ホンカー」といったらいいのだろうか。40年代から50年代にかけての、エレキギター中心のロックコンボ編成が確立する前にR&Bの標準フォーマットを成していた管楽器中心のダンスバンドを率いてぶいぶい言わせてた人。ルイ・ジョーダンなんかとおなじような、というか、最近のポピュラー音楽研究者にはトインビーのあの本でクラブ・ミュージックと同種の(そしてロックバンドとは異なる)音楽生産の類型にカテゴライズされてるロック期以前の主流を形成してたスウィングダンスバンドってのはようするにこういうの、と言う方が通りがいいのだろうか。でもこれジャズじゃねえよなあ。下品だし(笑)。この手の音はときどき「ヘビーメタル・サックス」とかいった形容でコンピレーションになってたりすることから音は察してください。特にビッグ・ジェイはサックスの音がぜんぶ「ブリブリ」という擬音で表現するのがふさわしい逝ったサウンドです。オレこの人なぜか昔から好きでねえ、大学時代にやってたバンドの名前をこの人の曲名から名付けて、出演前のテーマ曲にしてたこともある。たぶん、シカゴブルースとかギターコンボのR&Bほどロックイデオロギーの中でオーソライズされてなくて、かといってジャズの文脈でも無視されてて、レイ・チャールズ以降のソウルにも接続しがたい(アレサ・フランクリンの後見人だったキング・カーティス、この人もビッグ・ジェイと同系統のホンカー上がりでむちゃくちゃかっこいいんだけど、なぜソウル史の中であまりフィーチャーされないのか、というのもこの辺に関わるのだろう)この種の「忘れ去れられかた」が、当時の私の「中途半端な周縁志向」とフィットしたのだろう。そういうの聴いてても「いやオレは通でね」とか絶対言えない(笑)中途半端なポジションのあまり誰にも注視されない音楽というか。若い時分から私の志向はほとんど変わってないのだ。
で、言いたいことはそういうことではなくて、ご多分にもれずこのビッグ・ジェイの音楽はほとんどぜんぶコード進行はブルースの例の奴だし、似たようなフレーズが複数の曲で共有されるし、キメのパターン(例えば二拍三連のリズムで半音階上昇、とかいったクライマックス)があちこちで出てくるし、もうアドルノ先生に言わせると「規格化された大衆音楽」の極みのようなやつですわね。いわゆる「オリジナリティ」みたいなのにすごく乏しい音楽、でも好きだぜ、byストーンズ、的な黄金パターンを繰り返してきたポピュラー音楽研究の論争史なんですけど。でもさー、9月くらいに小倉と大阪を出産のため行き来してたときに小倉駅のボーダーラインで「R&Bベスト10枚組」みたいなの買って、iPodに全部入れて一時期そればっかり聴いてたんですわ。R&Bベストってもサムクックとかレイチャールズとかチャックベリーとか一曲もなくて、一番有名なのがシカゴブルース除けばルイ・ジョーダンとビッグ・ジョー・ターナー程度なラインナップなんだけど(ようするにビッグジェイと同クラスの有象無象メンツといえましょうか)、そういうのを浴びるように聴いてるとなんか知覚が変わってくるんですね。同じコード進行でようここまで多彩な音楽ができるなあ、というか、それぞれのミュージシャンの独自性についての知覚が、メロディやハーモニーやリズムではない水準に定位されてくる。まあハウスとかテクノをソウルやファンクの文脈で批判する視線(まだあるのか知らない)とか、パンクをハードロックやフュージョンの視線から「へたくそ」とか言う人たち(さすがにもういないか…)が最終的に敗北を喫してしまうのは、そのような「別のものが大量に耳に届くことによる知覚の変容」が背景にあるわけで、それをプラッギング(アドルノ)と言うか、「知覚の民主化」(ベンヤミン)と表現するかはともかくとして、「変容以後の感覚」と「変容以前の感覚」がどのように接続されるのか、が言語化されないと相変わらずの勝ち負け文化論になっちゃうんだろーなー、とか、アドルノが「ポピュラー音楽について」を書いたのと同時期の音楽を聴きながらぼんやり思った今年後半だったわけです。
んで、それは今だと何なのか、と言われたら初音ミクperfumeと、みたいな実に平凡な話なんだけど、技術決定論から一歩進んで「私の知覚がどう変わったか」が書ければなー、とか思わないでもないです。歯切れ悪いね(笑)。まあ今年は毛利さんの『ポピュラー音楽と資本主義』とか竹峰義和『アドルノ、複製技術へのまなざし―「知覚」のアクチュアリティ』とか出て、ちょっとアドルノvsポピュラー音楽研究のフェイズも変容していくのかなーという年でもあったかと思うわけですんでここは一つそんなことを考えてますということでご容赦。