生き延びるためのラカン (木星叢書)

生き延びるためのラカン (木星叢書)

私はラカンのことはぜんぜんわからないし知らないので、いろんな人が「世界一わかりやすいラカン入門」と言っていたので読んでみた。おっ、これがつまり象徴界を介してラカン理論への欲望が埋め込まれたということか! というのもギルガメッシュじゃなくて、えーとその、ガリバルディでもなくて、そうだそうそう、「キットラー」の本を読んでてフォノグラフ現実界に関係ある、とかいうのがさっぱりわからなかったので勉強せなならんなと思ったからである。とかいったような固有名詞の思い出し方ってのが、象徴界において作動している自律的なメカニズムというやつなのか! で、声とか音とかいうのは自分と他人のあいだにある存在なので、人間が考えたり感じたりすることの意味や、それを他人に伝えようとするときに、重要な働きをなすにもかかわらずそれについてうまく言葉で説明できない(というより、その「言葉で説明」するということそれ自体の基盤を形作っている)存在であるからこそ、そのような音声を司るフォノグラフラカンの言葉でいう「現実界」に対応するテクノロジーであるらしい。だからロッキンオン的言説というのはアカデミックな批評を拒絶するわけなのか! 以上ずいぶん間違ってますが、「ラカン理論を知るとそれに基づくかたちでいろんなことを説明したがるようになる」というのはなんとなく分かったような気もする。面白かったです。


備忘
(193頁)「…やっぱり誤解が多いんだ。一番多いのは、字ヅラにひっぱられての勘違い。つまり「現実界」っていうのは、まさに僕たちが今生きている現実世界のことを指していて、「象徴界」は制度やら組織やらシステムやらを指しているという理解かなあ」
想像界象徴界現実界が階層的な三層構造を成している、という通俗的ラカン理解に対する批判の箇所だけど、たぶん(理念型的な)官僚的な空間ってのには、そういった理解を促進するようなリアリティの感覚が横溢しているような気がするなあ。曰く、「現実界(レイパーソンの世界)は触れることができないおぞましいものだが、それは象徴界(法的制度的空間)を通じてのみ操作可能である(そして想像界=マスメディア空間とはその効果に過ぎない)」みたいな。そのような通俗的誤解が目立ってくるってことは、多分そのような「官僚的リアリティ」が社会に増大してることと通底してんじゃないかとか思います。思い過ごし? ならいいけど。