ようやく一段落。や、週末はまたフル回転ですが。

旧聞ですが、先週土曜は日本ポピュラー音楽学会で拙著の書評会が行われた。ご来場くださった皆さん、ならびに評者の太田くん、佐藤さん(id:morohiro_s)には深く御礼申し上げます。特に佐藤さんの他分野への接続可能性を広げる流麗なプレゼンを聞いていると、苦し紛れに発明したフォーク音楽的作品概念やらなんやらといったパチもんの諸タームが、堅固な理論的基盤を備えた重要概念に生まれ変わったかのようで、著者としては「不憫な駄目息子をこんなにりっぱに育てていただいて…」との感涙にむせぶばかりなのであった。なのであなたも一冊買ってね!もうすぐ品切れの噂だよ!(いま本人が流してるだけですが)

その音楽の<作者>とは誰か リミックス・産業・著作権

その音楽の<作者>とは誰か リミックス・産業・著作権

フロアの議論では、(1)ライブ文化とディスク文化という(Thorntonに由来する)対概念が、実は「体験の質」「体験を可能にする媒体」にそれぞれ照準する別の次元の概念なのではないか、という論点(だから、拙著がわりといいかげんにライブ=フォーク/ディスク=レコードみたいな二分法で突っ走ってるのはもう少し精査が必要)がまず一つ。それから(2)経験的対象に対する理論的な言説の「立ち位置」問題(とマスダは理解した)。もちろん(2)の方がこみいってて、前川さん(id:photographology)がまとめてくださっているが(http://d.hatena.ne.jp/photographology/20060716)私が思うに、経験的対象を「認識する」ことと「そこに働きかける(または評価する)」ことの区分が厳しく問われるエートスをもつ社会学(的な思考)と、それがあまり主題化されない芸術学や文学(的な思考)の作法の違い、というようなファクターが大きかった気がする(例えば、日本におけるカルチュラル・スタディーズが前者で冷笑的な視線から逃れられない一方で、後者ではあたかも●●(自粛)のような(笑)地位にあったりするような)。で、文学的なエートスよりも、社会学的なエートスの方に説得されてしまうような「雰囲気」を生きてるんですよきょうびのオイラたちは。たぶんね。
まあ「学際的」な分野ですから、そういう別のエートスで同じ対象を扱う研究者にも説得的に機能するものを書いたり言ったりする必要がある、という身もふたもない当たり前の結論になってしまうわけなのですが(だからといって少なくともこういう「新しい」とか言われがちな、「立ち位置」が相対的に未確定な領域で、外野に対して説得的な効果をゲットするために「実証的」な身振りに居直ってしまうのは潔くないなあ、と思わんでもないんですよ)、たぶんそのためには「経験的対象」とか「理論」とかの概念に自分が負わせている理論負荷自体を十分に開示しながらやっていかなあかんのだけれども、ついつい面倒で「なー自分、わかるやろ? あれやあれ」的になってしまうのが遺憾遺憾、と反省しました。
呑んだらすぐ忘れたけど。id:DADAYAさん、帽子頼んだ!頑張って本書くし!