私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

「はじめに」にちらっと目を通しただけで本を閉じる。これ以上ページを進めると仕事にならん。おもしろすぎる。最近の内田さんの本は、ウェブサイト日記の延長にある「ハッピーゴーラッキー」系のもの(『態度が悪くてすみません』角川新書は腹をかかえながら読んだ)と、その語法で個別学術系テーマを論じるものの二つに分化しつつあるように思えるが、これは後者の方向から「なぜ前者が重要なのか」を位置づけるもの、例えて言えば『ためらいの倫理学』に近い感触を覚えるものである。私はユダヤ文化にはまったく興味も関心もないのだが、内田さんの「はじめに」がぐいぐいと引き込む「この世界」に惹き付けられてやまない。おそらくは(あまりに多すぎる(笑)出版点数のせいで)内田樹という書き手のパブリックイメージを勝手に設定して憧憬したり反発したりする人には看過されがちな一冊になるのだろうが、なんというかなあ、「気の毒」という形容が妥当かもしれない(これは哀れみとか優越感とかそういうのではまったくなくて、ウツボとか酒盗とか嫌いな人に対して「こんな旨いものなんで喰わないの」と思う感慨に近い)。でもまあ好き嫌いあるしねえ。もったいないけど。

おそらくそこには、白田さんの新著(すみません今日ついつい全部一気読みしてしまいました)と通底する「『ほかの人』と徹底的に離れながらもちゃんと親切にして、ラディカルに考える」倫理があるのだと思う(アホみたいな言い方ですが)。けどまあねえ。そういうの、ポーズで真似するオレみたいなのか、「ポーズはいかん!本質!莫迦は糞!」とか真似事を倫理的な水準で取り違える人かどっちかやもんねえ。まあでもそれがどうした、ですよ。暑いけど一発がんばりましょう。ポーズ最高、と私は思ってますとりあえず。

…いや、いま読むのやめましたからっ!仕事仕事!