「癒しとしての与党精神」とでも呼ぶべきものは、きょうびユニクロのように大衆化してしまったように思える。「与党的なもの」を反抗的なモメントとして捉え直す議論に私が触れたのは、バブル期の浅羽通明(『ニセ学生マニュアル』シリーズ。これ復刊は難しいだろうけど歴史的文書としてどっかで読めないだろうか)を通じてであったが、当時はラディカルに思えたそのような議論は、すっかり校庭を一周半してしまい、いまや古典的な保守思想のバリエーションとして読み替えられる有様だ。おそらくそのあたりからこんにちの「嗤う日本の『ナショナリズム』」的な問題が発生してきたのだと(一人の元若者としての個人史を振り返って)思う。で、そのようなすり切れた決まり文句(あるいは思考の自動化)としての「与党精神」は、既に癒しアイテムとしてしか用いられていない。「現実を見よ」という指針がいつしかスローガンと化し、「理想主義者よりも現実を私は知っている」ことを自身に対して言い聞かせるために用いられるとき、スローガンはていのよい癒し文句となるだろう。もちろん、戦後の保守主義者(というよりもその支持者。うちの親とか)もまた、そのような与党精神の癒し機能に多くを負いつつ、「現場」で日教組やらなんやらと「戦って」いたのだろうとは思う。が、そのような「現実を見ること」が教条化するとき(経済、ネットコミュニケーション、政治、著作権、いじめ、まあテーマはなんでもいい)の様相が「癒し」でしかないこと、主体における機能が細木数子とかと変わらないようなかたちでハイエクだのレッシグだのが呼び出されることの方が、まああなたにとってはどうでもいいことにせよ、個人的にはどうにかしたいところではある。まあどうでもいいんよ。ええねんけどな。ちなみに大衆化する前のユニクロ伊丹店で買ったジャケット、もう10年になるけどけっこう丈夫で使い勝手がよく、いまだに愛用している(安い割に品がよかったのよね当時は)。そのため私個人はユニクロ自体に対して悪印象はまったくない。



村松秀『論文捏造』(中公新書ラクレISBN:4121502264
息抜きに一気に読む。2000年から2002年頃まで騒がれてた常温超伝導の研究が捏造だったことが判明したスキャンダルのドキュメンタリーの新書化。理系というか実験科学は大変だなあと思う。「理系と文系」に壁なんてない!とか喧伝する人に違和感を覚えるのは、その中身の原理が一緒でも、そこから派生する脈絡がこのようにまったく違うこと(で、ほとんどの文系大学人はその脈絡の中で果たす機能に生きていること)を、無視でないとしても過小評価しすぎているからだ。



矢幡洋『働こうとしない人たち―拒絶性と自己愛性』(中公新書ラクレISBN:4121501780
これもラクレ。妻が買ってきたが面白くてついつい一気読み。心理学的な人格類型が若年者就職事情に及ぼす影響、みたいなよくある議論ですけど、変に論壇を意識したセンセーショナルなキャッチフレーズとかなくしみじみ読める。というか、「働きたくない若者」の類型的人格のさまざまに多様なパターンがすべて自分にすこーんすこーんと当てはまってるように思えて仕方がなくて(笑)「ああ俺ってほんまに労働に向かないなあ」としみじみしてしまうのです。原稿が書けないのは自己愛性スタイルのせいで、寝てばかりいるのは拒絶型スタイルのせいなんですう…。と、心理学的な分析を「まさしくその病理の対象」の当人が熱心に読んでしまうのは、自分の難儀っぷりに居場所というか意味が与えられてほどほどに収まってしまう快楽のせいなんだろーなーと思う次第。だからこんな分析は解釈学の餌食になるばかりで問題の解決には役にたたねえよ、なんていうと妻に叱られますので(笑)あんまり言いませんが。