「それみたことか、やっぱり」「最初から興味がなかったことにする」「切り替えてチェコやイタリアやブラジルの華麗なプレーを楽しむW杯にしたい」エトセトラ。「日本は負けたが俺は負けてない」ことを証そうとする言葉が乱舞する敗戦の翌日。まあ私も今日一日深い悲痛の底に沈んでいたわけだが、「これがわれわれの社会が送り出した駄目なチームの集大成である駄目なプレーが生んだみじめな結果であり、結局われわれ自身が駄目であった」ことを徹底的に認め、恥じ入り、屈辱を受け入れるよりほかないのである。それを直視せぬ人は言う。「あきらめが肝心」「潔く4年後に期待しよう」。うむ。そのような「日本の美意識」は、ぺらぺらと軍事機密を米軍に惜しげもなく教示する日本兵の捕虜や、手のひらを返すようにマッカーサーに忠誠を誓った人々や、ホリエモンなり村上ファンドなりを持ち上げてはたたき落とす人々のような「勝ち組志向」へと接合され続けてきたのかもしれぬ(それが「日本の伝統」か)。だが、今こそ隣国より伝わった古い言葉に学ぶべき時なのではないか。臥薪嘗胆。幸い、次は6日後にやってくるではないか。要するにクロアチアとブラジルを圧倒して勝ちゃいいんだろ? まあ、特別攻撃が考案され実施されたところの心性とはこのようなものであったのかもしれないが。



…あ、いや、原稿はほんとに書いてますから。書いてますからっ