勝手にしやがれデカダンス・ピエロ』asin:B00008ILOJ


烏賀陽弘道『Jポップとは何か』(岩波新書ISBN:400430945X
手放しでお勧めできる優れた概説書である。「J」概念の誕生と定着の過程から、音楽メディアのデジタル化、タイアップ・システム、カラオケに着メロ、地方都市のパルコ化など、しばしば錯綜し多様な文脈によって領有される(すなわち、「オレにとってJポップというのは…」という単層の文脈しか見ない言説が溢れている)この対象を俯瞰するために必要な関連事象をほぼ網羅し、産業として肥大化した90年代の日本の主流ポップ音楽の状況を過不足なく描いている。また、しばしば狭い視点が陥りがちな、性急な価値判断に対しても禁欲的な点が好ましい。ありふれた音楽言説は(それが身近な対象であればあるほど)、その対象を「知る」ことよりも「評価する」ことへと流れがちだ(何度も例に挙げて申し訳ないが2chの音楽板が退屈なのもそのような言説構造を無自覚に反復しているために他ならない)。ジャーナリズムが行うべきことは(まずは)評価ではなく、対象が属する文脈をあきらかにすることにある。記号受容において互いに異なる複数の解釈項が乱立するとき、解釈学は必然的に失敗する、というのが記号論の教えだ(と思う)。現在のJポップをめぐる言説に最も必要なのは各々がその説得性を競う解釈学ではなく、本書が成したような「文脈整理」の作業ではあるまいか(その意味では本書は、既に新刊が途絶えて久しいJポップ解釈学の金字塔、近田春夫『考えるヒット』シリーズを、歴史的文献として再読するときの副読本、ともいえようか)。
しかし同じ著者の『Jポップの心象風景』(文春新書)ISBN:4166604325…。残念ながらそのような解釈学の罠に絡めとられたもの、と言わざるをえまい。烏賀陽は「Jポップに関する知的分析がない」ことをあとがきで嘆くが、それはおそらく「知的分析」の戦線が移動したせいというか、現在の音楽解釈学(的な知的動向)が被っている著しい変化を看過しているせいではないか、と僭越ながら感じるのだ。その意味で烏賀陽弘道という書き手は、批評家というよりも、本質的には有能なジャーナリストなのだろうと思う。