引き分け組でいこう

貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法

貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法

なんでこれがオレにすごく面白かったかっつーと、よくある格差本みたいな「まず敵探し」じゃなくて「まず味方探し」の姿勢が迷いなくあるからなんだろうなと思った。味方は多ければ多い方がいいわけだけど、たいがいの格差本(に限らず物事考える系の本はほとんどそうだ)は敵のかたちをくっきりさせることに執着しても、この本みたいにまず味方をくっきりさせてそれを増やすことから考えを始めることはない。「ようするに給料もらってあくせく働くようなのはみんな負け組よ」というこの本のクリアな認識が「もしかしたら毎月給料もらえて好きなことしてるオレって勝ち組かも…それって後ろめたい…」的なやましさを解毒して「おお面白え!オレも助太刀するぜ!」(ふぬけだからたぶんしないとしても)と思わせるのが面白かった一因なのだろう。すんません。まあしかし、オレもふぬけ右翼なので負け組とか旗印にして抑圧された階層が云々、とか言うのもいまさらみっともないので、「引き分け組」ということにしておきたい。勝ち負け決めなあかんって誰が決めた、というのが私が内田樹さんから学んだ生きる作法なので、なんか組を決めなあかんようになったら(なんかやくざの就職活動みたいで変ですが)オレ引き分け組でいいです。日本のサッカー文化に引き分けがないことを嘆いたのは誰だったか。わざわざVゴール(かつてはサドンデス)までやって勝ち負け決めないでもいいらしいよ、グローバルな世界では。
知に働けば蔵が建つ

知に働けば蔵が建つ

うちでは内田さんの著書全集コーナーがあって(いつもご恵贈ありがとうございます)「教典コーナー」と呼ばれており、人生に迷いがある日には適当に一冊抜き出して読むのを習いにしているが、今日はこれがフィットいたしました。たぶん宗教ってのはそんなもんなんだろうがプラグマティックに使えるならそれでもまあええか、と個人的(というか我が家的)には思う。

いまの快楽と将来の快楽のどちらを優先するか、といったような抽象的な問いは、具体的な判断のバランスによって答えられるべき種類の問いなのだろう。不必要なのは「原則」なのだ(そういうときには。たぶん)。