昨日のユリイカトークショーお疲れさまでしたー。いろんな方々とお話できて楽しかったです。想像通りのナイスガールな吉田アミさんのサインもいただけたし。またああいうよくわからん人が大勢集う呑み会、やりたいっすね>id:gotanda6さま。と、身勝手にリクエスト入れておく(笑)


内容については特に書かないけど、あのときもすこし話そうと思って話が発展しなかったことを追補。ブログ(に限らずネット空間)を、「コンテンツ中心」的な空間と「すべき」と考えるのはいいんだけど、それを旧来の文化経済(コンテンツを物的財の類似物、として取り扱うメディア論)を前提に考えてもダメだろう、というのがマスダの理解というか予想です(音楽については『音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ』に書いたことではあるが)。だからもう少し時間があったら、アフェリエイト含め「広告」が孕んでいる問題系について少し議論ができれば、と思った。例えばテレビは(NHKとかCSとか除いて)コンテンツを視聴者に売っているわけではなくて、「テレビを見る購買者」を広告主に売っているわけで、読者に向けてコンテンツを「買って欲しい」と構えるブロガーが同じ土俵で対抗しても多分ダメなんじゃないか、とか。「カネ」と「意味」は一対一に対応する(べき)、ともしブログ諸君!が考えているとしたらその方向にはたぶん、あまり未来はないと思う。それよりは属人的なコミュニケーションの拡大をどう「コンテンツ」の良化に接続するか(あるいは経済に接続するか)ということを「まじめに」考えた方がいいんじゃないかな。内田さんのスタンスがなぜあそこで何度も言及されたか、はそこに関係する(ブログに書いた「コンテンツ」を経済に転換することにもっとも成功してる人の一人なんだし)。で、少なくとも現在は、パッケージ(的)・メディアと「コンテンツ」とを完全に違う位相で考えることに成功している人は誰もいない。で、そんな段階で「コンテンツの内容」について面白いとかつまらない、改善しろとか云々するのは構わないけど、それは全くもって重要な問題ではない、と思います。「コンテンツなんてどうでもいい」と言った(たぶん)のはそういう意味です。早く出てこい、オレたちのフィヒテ、ということだ。いずれにせよ、ブログ論をブログでやりたがる人たちは(パンクに生産的なこと考えたいんだったら)もう少しクールダウンしようや、と思った。以上。


Cassandra Wilson 'New Moon Doughter' asin:B00005GKDL
・Joao Gilberto 'Joao Gilberto' asin:B000068W30


5/2追記
メモ書き見直していてもう一つ、言おうと思ってて忘れてた! 「ネットでは何かにちゃんと着目することは簡単だけど、何かをちゃんと無視することがとても困難」なこと。そのことによってたぶん、ネット(だけ)でのやりとりは無限に不毛になりがちなのだと思う。だから、「ブロゴスフィア」でしたっけ? そういうの原理主義というか、「ネットの中だけで言論も経済も回していこうぜ/いけるぜ」的な議論にはなんともついていけないのです、とか。だからオレはやっぱ、サシで呑みながら話すのが好きだなあと思うし、匿名での議論がつまんないと思うのもその辺に起因しているような気がする。面白いよな、音楽に関しては逆なのに。