吉田アミ『Spiritual Voice』New!
・Astro Twin/Cosmos『Astro Twin/Cosmos』New!
カリフォルニア・ドールズ『Dragon, Tiger and Escargot』New!
吉田アミ「.」New!
吉田アミ『虎鶇(Tiger Thrush)』New!
 30日の神田三省堂でのユリイカ「ブログ特集」トークショー詳細。まだ空きがあるとのこと。慶應義塾明治学院の向学心溢れる受講生の諸君は積極的に参加するように)の予習として、ご一緒する吉田アミさん関係のCDをまとめ買いする。やっぱオレも一応音楽学者ですから(笑)ミュージシャンとお話する機会あれば事前調査くらいは職業的義務かとも存じまして。アマゾンでは買えないんですがontonsonさん(http://www.ontonson.com/)でいともスムーズに購入できました。おすすめ。
 周知の通り、マスダは前衛的な志向を持つ音楽実践に全く感受性を欠く者であるため、音の評価に関してはなんともいいがたい。が、声と音との境界が溶解せんとする豊穣な瞬間がいくつもある、ことくらいは聞き取れる。器楽と声楽の対立関係は西洋音楽思想史のなかで複雑に絡みあい、それは多分ブルース(ギターが歌う)とか浪曲(節=メロディを「語る」)のような、非西洋的な音楽感覚の大衆的な流入によってさらに錯綜するわけだが、その境界をいわゆる「音響派」的な受容の定着を背景に、「実質的に」なし崩しにしてしまうような作品群、などと言えるだろうか。まあデメトリオ・ストラトスだのディアマンダ・ギャラスだのといった現代前衛声楽の趨勢に全くもって無知なマスダが言うことは見当はずれでしかないのだが、おそらく一つだけ確実に指摘できるのは、これらの「声」が、(特に女声に対して執拗につきまとう)ジェンダー関与的な欲望の視線いや「聴取の線」からするりん、と身をかわすその「かわし方」の特異性なのではあるまいか。で、それがカリフォルニア・ドールズ(これはポップ音楽的な語法にある程度よりそった吉田アミと和田チヒロのデュオ)の初期ニューウェイヴ的な感触と通底していて、その辺をこじつけるのも面白いかも、とかいい加減なあてずっぽばかりでほんますみません>吉田さん。当日はよろしくお願いいたしますねー(あと上記、当日持参しますんでサインなどいただけましたらば幸い(笑))。


30日の三省堂は「秘密ゲスト」がやってくるわけですが、はっきり言って仰天しますよ。はい。オレまさか生きてるうちに生身でこの人と同席する羽目になるとは思わなかったもん(笑)。「はてな論壇」的なものをウザがってるけど気になってるそこのアナタ、そう、アナタのためのゲストですよ。たぶん。
そのあとパーティというか呑み会(この呼称には固執したい)があるそうなので、そちらだけ参加も可とのこと。お気軽にどぞ。朝までフィーバー。イエー。
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20050423#1114210314