ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記


ブログ・ガイド100@2005(栗原裕一郎編)で「音楽」を担当しました。
他にも挙げたかったもの(や、他の選者に挙げられてしまったもの)もありますが、ともあれ各方面への罵詈雑言、平にお許しを(まあブログ特集なんでブログ更新のノリで、ということで)。
あと、mixi始めて「リハビリ日記」更新減った(p.85)のは因果関連があるわけではまったくなく、昨夏に始まりいまだ終わらぬ〆切デッドヒート(というより書けない地獄)でサイト更新どころじゃなかった最中に、たまたまid:yskszk氏に(とか書くとはてなっぽい)mixi沼に誘い込まれた、というのがことの次第と弁解しておきます。mixiも担当編集さんがいると、お仕事済んでない手前なかなか更新できませんもので(笑)


通読して思うに、北田暁大氏がこないだ書いてた「メディア論は印刷メディアに依存する」みたいな話がアタマを何度も反響する。印刷メディアの論客がブログを論じるときの居心地の悪さと、ブログの論客が印刷メディアに登場するときの居心地の悪さ。この同居のありようこそが、こんにちの人文系言説の現在なのかもしれない(なのでブログでも印刷でもまったくエクリチュールが変わらない北田さんと内田樹さんの特異性が前景化した感もあり)。今回の企画のように、そこから「居心地の悪さ」の可能性の中心をどうビッグマネーに繋げるかを試行錯誤するのがポイントなのかもね。そう、人文系言説のキモはこんにち、身も蓋もなくカネなのだ(座談会の隠しテーマがそこにあったように)。出版不況や大学改革エトセトラ。メディアを変えてなんとかならんか、という人文愛に満ちた編集長・郡さんの悲痛な叫びを聞くべきであって、これを理系的に「Wikiを無視とはいかがなものか」とか言ってても詮ない話なのである。そんだけアーキテクチャ作った人の手を離れて普及してるってことよね。ネットで「書く」ことってえヤツは。栗原さんとニフティのFARTなんかでどんどこ砲弾打ちまくってた青春の想い出が懐かしく思い出されます(笑)。あれから僕たちは何かを信じてこれたかな(棒読み)


個人的には、現代詩業界の金原ひとみになれる可能性も幾分かあるやもしれぬ三角みづ紀『オウバアアキル』中原中也賞選評が、今号でお披露目となったのは実に適切な措置であったのではないかと思います。露出層のマッチングという意味で。いやマジでさ(笑)


さて月末までにあと一本! それ書いたら通常営業の予定。