ヤンキー文化論序説

ヤンキー文化論序説

この装丁を絶賛したいがために速攻読んだ。勘亭流、黄金のオビ、カバーを外せば紫一色。カルタイ2008でヤンキーをテーマにするのを某偉い先生に反対された五十嵐さん(ヘビメタ好き)の渾身の思いが伝わってきます。誰が反対したのかこんどこっそり聞いておきたい(笑)。ヘビメタといえばという人類学的研究もあるけど、ヤンキーと共通する「インテリ(気取り)から無視されてきたサブカルチャー」の象徴でもある。いやオレも苦手ですけど(笑)カルチュラル・スタディーズのスピリットって「美的にかっちょいい反抗的文化」の称揚ではなくて、ヘビメタとかヤンキーとかいった、構造的に知的視線から抜け落ちてしまう下位文化にまっとうな視線を向ける作業じゃねえかよ、という啖呵がとても「トッぽい」ことしきり。まあ、カルスタ的スタンスの日本の研究活動も理論的摂取の時期が終わって、こういうかたちでバナキュラー化しつつあるのだろうと思う。個人的にはとても好ましいと思う。オレはヤンキーじゃないけど洋物文化の美的称揚で日本で偉そうにしたがる鹿鳴館野郎ってえのは昔から一貫して気に喰わないんですわ。
各論者のスタンスや密度はさまざまだが通読して透けて見えるのは、オタクとヤンキーの社会的対立の図式(本書の枠組みもいちおうそれに依拠するが)とは対照的な美的な構造の共通性というか、「日本的バロック」としての二様性である。その意味で斎藤環が準備中というヤンキー論がたいそう楽しみに待たれる次第。あとパンクとヤンキーを対比させる成実論文や、ヒップホップ受容と日本語ロック論争の相違を論じた磯部論文などはいろいろ展開できそう。
気になるのは、酒とか煙草とか、シンナーから大麻へ、とかドラッグ文化についての言及がほとんどないこと。昨日神戸の視聴覚文化研究会後、煙草美学の共同研究をJTから金取って(笑)やろうやろう、と前川さん(id:photographology)と盛り上がってたとこだったのでちょうど気になった。飲酒と暴走族文化の折り合いの悪さ(ヤンキーって飲酒運転のイメージとつながらない)、喫煙バッシングの増大とヤンキー文化の通過儀礼としての未成年喫煙の関係、そんなことをぼんやり考えさせられる。
まあいずれにせよすげえ面白い本なんでそこんとこ夜露死苦!(お約束)