出たばかり。生協で立ち読みして「即買う即読む」カテゴリにすぐ入った一冊(授業開始までの付け焼き刃として必須の本、ということ(笑))
いちおう「アジア都市文化学」などというところに採用されたので、昨年度は都市文化論というか、都市空間と文化に関する議論をいろいろと読み漁っていたのだがどれにもどうにも満足することができなかった。というのも、人文地理学や都市社会学、あるいは文化研究系や人類学系(ルポ色の強いもの含む)の都市論、さらには工学系・建築学系の都市論など、分野は違えどどれにも共通する「リアル空間と象牙の塔の対立(で前者の優位)」みたいなものが多かれ少なかれ議論の前提にされてしまう構図が、少なくとも私個人の知る「都市」の経験とは微妙だが致命的なずれをはらんでいるように感じられて仕方なかったからである(とまとめるのも大雑把ではあるがとりあえず)。いいかえれば「事件は会議室で起こっているんじゃない、現場で起こってるんだ」といった(「ポピュラーなもの」の知的効果を担保していた?)スローガンがアカデミズムの言説空間を領すること(それを誰も当然として疑わないこと)にうんざりしてたわけだ(と思う)。フィールドワークの効用を疑うことのないようなある種の「感性」みたいなものがあるとしたら、たぶんそれは今世紀中に大きく変容を被ると思うんだけど(希望的観測だが)、その萌芽でもないか、ともあれ「都市文化論」のたぐいの中で初めて私の問題意識にびりびり触れた議論がこれ。東大院ゼミのフィールドワーク記録ということだから、なんと優秀な若い人たちが集っていることよ、と嘆息するばかりだが(笑)「路上」のアウラに惑わされず、その背後にあるメディアに媒介された「象牙の塔(というのは人の持つ理念的領域、ということだ)」が実際の都市空間の中に作動するメカニズムを骨太に描き出そうとする視線には励まされる。特にストリート・アーティストとグラフィティ・ライターの分析には刮目する箇所が多々あった。事件は現場だけで起こっているのではなく、会議室「でも」日々不断に(しかもしばしばずっと見えにくいかたちで)起こっているということを忘れてはならない。
不満点を述べるなら、いくつかのコラムの校正不足とかは愛嬌として(笑)、「わたしたちの関心が向かったのは、路上で携帯電話をしたり、iPodを耳にしたりする人びとだけではなかった。そのような「受け手」の延長線上にある人びと以上に興味深いのは、文字通り路上を舞台として活動(空間実践)するさまざまなパフォーマー(中略)であった」(19頁)といった本研究プロジェクトが向う視線の「美的バイアス」であろう。私にとっては、いや、美学的なバイアスに冒された都市研究・文化研究にうんざりしてきた私、と正確に言い換えておきたいが、その私にとっては、「そのような「受け手」の延長線上にある人びと」こそが、より見えにくくかつ重要な「路上における見えない文化実践」の幹を担っているように思える。「路上のサイレントマジョリティ」の声ならぬ声を会議室にまで遡って描き出す作業。いまの私には「ネーションワイド・オーディエンスのストリート版」みたいな死ぬほど貧相な研究イメージしか浮かばないのが情けないのだが(笑)、現場のアウラに拮抗しうる「象牙の塔」からの都市文化論の可能性があるとしたらそのあたりの方向なんではないかと思った。いずれにせよ刺激的な好論集である。おすすめ。